「贋作のない画家はいない。超マイナー画家でも、地産地消されてる。」という話を聞いて考えたこと。
例えば、全国的には無名だが地元民に人気のある画家Aがいたとしよう。人気があるのでその地方で贋作がたくさん作られたとする。
時は流れ、画家Aの存在はほとんど忘れ去られていた。そこへ美術史家が調査にやってくる。残っている作品を収集してみると、筆跡などからa群とb群に分けられる。a群は巧くて魅力的だ、一人の手によるものだろう。b群はそうでもない、数種類の手が見られる。
さて、考察の結果a群が画家Aの作品として認定され、b群は複数の贋作師によるものであると判断された。かくしてこの地方の知られざる画家Aが発掘されたのである。これらa群を基準作として、今後さらなる研究発表がなされるであろう。

…とここで、実はa群が一人の上手い贋作師の作品であったらどうだろう。禅僧や文人など、布教の手段や余技として絵を描く人物が必ずしも技巧的に優れているとは限らない。むしろ大抵ヘタである。例えばそういった画家Aの真似をした贋作師のほうが技巧的に優れていたとする。そして後世、その贋作師の作品だけが画家Aの作品だと判断され、本当の画家Aの作品が贋作の一群の中に埋没しているとしたら…。そんな話があったら面白いですよね。
いや、博物館に勤務する人間としては「面白い」とか言ったらいけないのだと思いますが…。まぁでも作者の基準作を同定する場合「伝来(どこにどう伝わったものであるか、またその話がどれくらい正しそうか)」も考慮に入れられるので、上に書いたようなことはまず起こらないと思います。