先日のことです。朝起きて、「今日は一日休みだからゆっくり投稿論文書くぞ〜。明日の消印有効だから余裕余裕。」と、パソコンをつけたら・・・本日のスケジュール表に結構大事な試験が表示されてました。そのために休みを取ってたということを忘れてた!ぎゃー。

・・・結局、ぎりぎり間に合う時間だったので、試験受けてきました。なので、論文の体裁確認が少々犠牲になりました。不備がないといいなぁ。ぁぁぁ。試験のことは2日前まで覚えてたはずなのに、人間追い詰められるとスパッと記憶が取れたりするようです、危ない。どっちか選べばよかったのかもしれませんが、できない性格なのよー。ただ、久しぶりに試験を受けに行って、やっぱり現場にいると身に付くものが多いな、と実感できたのでよかったです。下調べゼロの状態で行ったのが致命的でしたが。遠方の友達にも会えたからいいや・・・。

                                 

そうそう、先日盲学校の子供たちが美術館に遊びに来てくれたので、ガイドをしました。と言っても、ほとんど先輩にくっついていただけなんですが。全盲の子はものすごく喋るし、弱視の子は走り回るし、予想外の動きに動揺しっぱなしでしたが、そこそこ楽しんでもらえたようで、ほっとしました。

今まで意識したことがなかったのですが、考えてみれば、美術館は「見る」ことにほとんど特化した場所です。それでも、少しでも多くの人にサービスを提供したいという信念から、うちの美術館でも視覚にハンディキャップのある人も楽しめるような方法を考えているのですが、まだまだ模索中の状態です。先日子供たちには立体作品を触って観てもらったのですが、絵画を、会話しながら観賞する方法もあります。絵画の場合はガイドの能力にかなり左右されるので、難しそうです・・・今度やらにゃならんので心配です。

目の見えない人がどう世界を把握しているのか、それを知らなければうまく話ができないかなぁと思うのですが、まだ勉強中です。近いうちにそういうイベントがよそであったら、行ってみたいと思います。先日の観賞では、生まれつき全盲の子が、ある作品を触って、「土砂崩れでもあるし、メールサーバでもある」と言いました。聡明な子なんで、さすが難しい言葉を知っているなぁと思いつつ、彼にとっては、私達が物体として見ている土砂崩れも、観念的にシステムとして認識しているメールサーバも、どちらも同列に観念的なものなのかなぁと思いました。(メールサーバも、実態があるっちゃああるんでしょうが、その箱(?)がどんなものか知ってる人は技術屋さんくらいですよね?)

それから、私達は目を使って物の輪郭を見ているけど、触って認識するということは、物の表面をみていることなんだろうなぁ、と思いました。色については、まだよく分かりません。図工の時に先生に色を聞いて作品を作ったりするそうなので、視覚以外の感覚と結びつけて、知識として知っているのかもしれません。赤はあたたかい、青は寒い、というように。ちなみに全盲の方のブログか何かで読んだのですが、「まっくら」というのは感じないそうです。見える者にとっては、見えないことはまっくらだというような気がしたのですが、それは比較対象があっての「暗い」なのだと分かりました。

関係の本を読んでいて、気になった言葉。「目の見えない私が、なぜ、芸術に関心を持たなければいけないのですか?」(ジュリア・カセム『光の中へ―視覚障害者の美術館・博物館アクセス』)

光の中へ―視覚障害者の美術館・博物館アクセス



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